傷つけたり、傷つけられたりするということ

相手に自分の言いたいことを言って、相手を傷つけたことがあるかもしれません。

その日以来、相手との距離が遠くなり、やがて会わなくなったということ。

生きていれば、そういう経験は1度や2度ということもないのではないでしょうか。

逆もありますね。

相手から言われた何かに傷つき、その傷の痛みがいつまでも続いてしまい…。

でも、ということは、人は人を傷つけたり、人に傷つけたりするんだろうな、と私は考えています。

もちろん、だからといって何を言ってもいいわけではない。

それに、

「他人の心を傷つけてはいけません」は園児の頃から教わっているから知っています。

その上で今私は書いています。

人は時々、人を傷つけたり人に傷つけられたりするものです。

本気で付き合えば付き合うだけ、特にそう。

多くの方がご経験上ご存じのことと思いますが、相手との愛が深まれば深まる関係ほど、傷つけあう関係にもなります。

相手との関係が近くなればなるほど、裸になっていくということなので、当然、傷も受けやすいです。

園児の頃から教わる「他人の心を傷つけてはいけません」を否定するつもりは全くありませんが、人は人によって傷ついたり傷つけられたりするものです。

大事なことは、その傷をどうとらえるのか、そして傷つけたり傷つけられたりした相手とのその後の関係をどうしていくかを考えることだと思います。

傷つけたり傷つけられたりすることで距離をとって会わなくなる人もいれば、それでもまた距離を近づけようとしてさらに愛が深まる人もいる。

どちらもできるわけであって、どちらかになるに決まっているわけではないです。
どちらかになるに決まっていると思っているとしたら、それは思い込みかもしれないし、自分でそういう人生の脚本にそって生きようとしているということなのかもしれません。

私は何を書きたかったかというと、誰かを傷つけることも、誰かに傷つけられることも良くないことなんだけど、実際は人と人の間には、傷つけたり傷つけられたりするということがあるということ。

何でも「過ぎること」が良くなくて、「傷つけてはいけない」と自分を縛り過ぎたり、傷つけられることを怯え過ぎたりしなくていいと思うのです。

生きていれば、傷つけることもあるし、傷つけられることもある。

それを避け過ぎる生き方をするよりは、「それが人と人なんだ」と思いながら生きていきたいと私は思います。

要は、その後、傷つけたり傷つけられたりしたその後に、さあどうするかを考えることなのではないでしょうか。

それにもう一つ。

本当に自分が相手を傷つけたのでしょうか、

また、

本当に相手が自分を傷つけたのでしょうか。

人間はみんな傷を負って生きているといえるかもしれません。

過去にあったつらかったこととか挫折とか、

いろいろあってまだ未解決なこととか。

とにかく生きている以上、何らかの傷を負っていて、それをうまく別の何かで覆いながら生きているものです。

そして上にも書いたように、

愛が深まれば深まるほどに裸になっていくものだから、お互い相手の傷も見えてくるだろうし、触れることもあるだろうし。

だから本当は相手を傷つけたり、相手に傷つけられたというよりは、もともと持っている自身の傷に触れたり触れられたりしたということかもしれません。

どちらにせよ、痛いものは痛いですけれど。

 

ただ、その傷が過去からひきづっているものにせよ、今できた傷にせよ、相手との関係は切れたり、つながったりするのが人と人。

さて、今はどうするのが自分の人生にとって正解なのかな……。

 

最近誰かを傷つけてしまった人と、誰かに傷つけられた人に、どうか届きますようにと願って書きました。

「傷つけたり、傷つけられたりするということ」

ありがとうございました。

投稿者プロフィール

島 幸樹
島 幸樹心理カウンセラー
くれたけ心理相談室 生駒支部
「人は日々進化し成長し適応へと向かっている」

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