自分自身が見ているということ
これは先日、コンビニでホットコーヒーを注文したときの話です。
いつものように店員さんからカップを受け取り、マシンを使って自分でコーヒーを入れようとしたのですが、小さい方のサイズを注文したのに、うっかり間違えて大きい方のサイズのボタンを押してしまったのです。
あふれるんじゃないかと不安になったのですが、ギリギリのところで止まってくれて、それはそれは良かったです。
が、押し間違えてしまって大きい方のサイズを入れてしまったので、店員さんにその旨をお伝えしました。
店員さんはカップを変えてくれようとしたのですが、それは申し訳なかったのでそのままコーヒーはいただいて、お詫びして不足分のコーヒー代をお支払いいたしました。
帰り際にもう一度マシンをチラッと見ると、「必ず注文したサイズのものをご選択ください」という貼り紙。
「ほんとすみません…」と思いながら私は店を出たのでした。
でもそういえば前にニュースで、コンビニのコーヒーマシンで注文したものより大きいサイズを入れて詐欺罪で捕まった人の事件があったのを思い出しました。
万引きではなくて詐欺なのか……そのときはボンヤリと考えていたような気がします。
私は無宗教なのですが、それでも子どものころにはいろんな大人の人から、「悪いことをしたら、誰も見ていなくても神様、仏様が見ているよ」と教えられたものです。
「天網恢恢疎にして漏らさず」(てんもうかいかいそにしてもらさず)という言葉もあります。
天の張る網の目は広くて荒く、その分、悪いことをしている人をその目から漏らすことがないという意味です。
「でも、誰が見ているんだろうなぁ」と子ども時代以来ボンヤリと考えていたら、あるとき気がついたのですね。
つまり自分自身か、と。
誰も見ていなくても、自分自身はそれを見ているんだなと。
これは悪行でなくてもそうなんですよね。
誰かと言い合いになって、感情むき出しになって、大喧嘩になったときなんかも。
そして何か大きな決断をするときなんかもそうかもしれません。
自分自身が見えなくなっているときがあります。
余計な意地やプライドとか、肩書とか地位とか、そういうのが邪魔をしてしまうときがあります。
今自分がしていること、しようとしていること、本当にそれで合ってる?
と自分自身に問いかけてみます。
鏡を見るように(実際に見てもいいですし)、今の自分の表情や心を確認してみると、少し冷静になれるかもしれませんね。
ちょっと違うならやり直せばいいし、違わないならそのままでいいし。
誰も見ていないかもしれない。
でも、天の神様、仏様はずっと見ている……そこに気づきを持って、いつも今を生きていたいですね。
「自分自身が見ているということ」
ありがとうございました。
ちょっと疲れたらコーヒーブレイクを。
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